001 24時間テレビの見方2

今回は「24時間テレビの見方2」を書きます。「2て何やねん!」という方がいらっしゃいましたら、このブログの1つ前に「24時間テレビの見方1」

 

t-aroma-le311.hatenablog.jp

 

を書いてますので良かったら読んでください。この題材を書くにあたり私が注意している点を書き残しています。

 

24時間テレビの見方1のまとめですが

・福祉=無償ではない

・そのズレた感覚が24時間テレビへの違和感の一部になっている可能性がある。

と言いました。

 

次に、これも感覚のズレなのですが、「果たして本当に感動ポルノ」なのか。これについては意見が様々飛び交うと思います。私なりの答えですが

 

これは表現が(あまりにも)悪すぎる。

 

この言葉に尽きます。ソースはありませんが、障がい者の当事者の方が別の番組でおっしゃられた発言だと記憶しています。

 

果たしてその言葉、その方自身はその発言に責任を持てるのでしょうか?当事者の意見としては大切は発言であることに変わりはありません。大切な問題提起として議論していくべき話ではあります。

 

煽りたいのは分かりますが、そのポルノという表現があまりにも浸透した結果、批判の材料の1つになってしまいました。当事者の方が言う分にはまだ分かりますが、一般の視聴者にまで及び「あ、こういうこと言っちゃっていいんだ」という風潮。

 

経緯はどうであれ、全国放送で出演して感動を演出した方々に対してあまりにも無礼な表現だと思いませんか?出演者の中には未成年の子どもたちもいます。そういった人たちをひとくくりに「感動ポルノの出演者」として辱めるような表現は厳に慎むべきだと私は考えています。

 

「オレたちが批判しているのは日テレや制作側であって当事者じゃない」という意見、出てきますよね。

 

そういった心の奥の個人的な理由、受け取り手が汲み取る術はないんですよ。その端的に放たれた一言で当事者が深く傷つくかも知れないことを心の片隅にでも置いておいていただければ嬉しいです。

 

またこういう意見も聞きますね。

 

「そういう場に出る時点で自己責任。批判されて当然。」

 

これについては、正にその通りだと私は考えます。いくら当事者であれ、公の場に出たからには様々な価値観に触れるリスクを冒していることを念頭に置いて行動するべきです。しかしながら、当事者に対しては批判の矛先にならないよう制作側が最大限・最高級の配慮を施すのが大前提だとも考えています。

 

さっきと言ってること矛盾してんじゃーん!

 

そう思いますよね。書いてて思います。私が伝えたいのは

・批判するなとは言わない。

・批判するなら対象を明確に。

・言葉は慎重に選んで。

 

 です。

ここで1つ提案があります。

今日から感動ボルノをやめて「感動の押し付け」にしませんか?

表現1つでニュアンスも批判の対象も変わってくると(私は勝手に)感じています。

 

でもね。中にはいると思います。

「わたし、やりきりました!」がウザい。

って感じる人。その気持ち、分かります。

 

当事者の人が頑張っている姿を見るのがドコとなく居心地が悪い感覚。

 

次はその感覚への私なりの対処方法を共有させていただきたいと思います。

 

今日もここまで読んで下さりありがとうございました。